石炭か脱炭素か、USスチール社買収に見る日本製鉄の岐路
6月18日、日本製鉄による米国鉄鋼大手USスチール社の買収が正式に完了した。約149億米ドル(約2兆円)にのぼる買収提案は、国家安全保障をめぐる1年半に及ぶ政治的議論の末に承認された。注目されるのは、この買収額に加えて、日本製鉄が発表した140億米ドル規模の設備投資という巨額な投資額だ。しかし、より重要な問いは、この投資額を何にどう振り分けるのかという点だ。脱炭素と海外展開の両立を図る転機となるか、それとも従来の石炭依存路線を引き継ぐのか。その選択が、今まさに問われている。
USスチール社はアーカンソー州に最新鋭の電炉を保有し、DRI炉(直接還元炉)の新設も計画しており、脱炭素技術を活用した高級鋼材の生産拠点として期待されている。一方で、同社は今なお多数の高炉を操業しており、石炭依存の構造が根強く残る。買収後の設備戦略が、将来の脱炭素方針を大きく左右することになる。
日本製鉄の資金力、USスチール社が保有する鉄鉱石資源、そして米国の再生可能エネルギーを組み合わせれば、「低排出鋼材」への需要が高まる自動車産業などへの対応を含め、新たな脱炭素の可能性が広がる。
買収計画の遍歴
日本製鉄は国内需要の鈍化を背景に「粗鋼1億t体制」を掲げ、海外展開を進めてきた。2023年12月、USスチール社を約149億米ドルで買収する方針を発表。発表当初の株価に対して、40%のプレミアムが上乗せされた。高炉8基、電炉3基を保有するUSスチール社を傘下に収めれば、日本製鉄は世界3位の粗鋼生産企業となる。この買収は、脱炭素先進国・米国市場へのアクセスと、IRAなどの政策支援を受けられる好機として当初は評価されていた。
しかし2024年、米大統領選を控えてトランプ氏・バイデン氏両候補者ともに買収に反対姿勢を示した。日本製鉄は米国内の懸念を和らげるため、3月に約14億ドル、8月には追加で約13億米ドルを投資する方針を発表。さらに、2024年12月にはUSスチール社の従業員宛書簡で、モンバレーの高炉2基とゲーリーの高炉4基を2030年までに改修する方針を表明。これは雇用維持と地元支持を狙う一方で、石炭高炉の長期稼働を確約するものであり、自社が掲げる「カーボンニュートラル2050」との矛盾を表面化させた。
この動きに対し、米国で最大の環境団体であるシエラクラブは2024年秋、他の二十数団体と連名で、深刻な気候変動と労働問題への懸念を理由に、議会に書簡を送り買収反対を公式に表明した。また、USスチール社の拠点周辺の市民団体も、石炭高炉によるこれまでの大気汚染や健康被害が継続する危険性を訴えている。
2025年1月、バイデン政権は国家安全保障上の理由で買収を一時差し止め、日本製鉄は訴訟で応戦。だが4月、トランプ氏が再び政権を握るとCFIUSに再審査を指示し、5月にはSNS上で買収支持を表明。日本製鉄は総額140億米ドルの投資計画を発表し、最大40億米ドル規模の新製鉄所建設も明らかにされた。そして6月18日、買収が正式に完了した。
主要な動き
気候変動への影響
2030年までにモンバレー製鉄所の高炉2基、ゲーリー製鉄所の高炉4基をリライニング改修するという計画は、気候変動の観点から大きな懸念を呼んでいる。
高炉のリライニングには1基あたり3億〜10億米ドルのコストがかかり、15〜25年の稼働延長につながる。規制の強化が進む中、こうした設備の延命は座礁資産となるリスクがある。
USスチール社の2023年の総排出量は2951万t(スコープ1および2)にのぼる。日本製鉄は、2030年までにUSスチール社が保有する高炉6基のリライニング改修を行う計画を発表しており、石炭依存の生産体制が今後も長期にわたり継続される見通しだ。日本製鉄自身も、2023年度の総排出量を7650万t(スコープ1および2)と報告しており、買収後の統合された事業全体として、年間の温室効果ガス排出量は1億tを超える規模に達すると見込まれる。
USスチール社の公害問題
買収に対する懸念の根底には、気候変動問題だけでなく、USスチール社の深刻な公害問題がある。近隣住民は、何世代にもわたって操業に起因する大気汚染に悩まされてた。
USスチール社の高炉とコークス炉からの温室効果ガス排出量は年間約1400万tにも及ぶ。モンバレー製鉄所やゲーリー製鉄所では、設備老朽化を起因とする度重なる環境違反が問題視されてきた。特にペンシルベニア州のモンバレー製鉄所におけるコークス炉では、H2S(硫化水素)など有害物質の排出が続き、住民健康への影響が問題となってきた。2018年の火災以降、排煙装置の不具合によって悪臭や基準超過が常態化し、2019年より相次いで罰金を科されている。
直近では、2023年12月にH2S基準値を超えたとして、220万米ドルの罰金、2024年2月には362件の違反に対する200万米ドル近い罰金が科されている。ペンシルベニア州アレゲニー郡保健局(ACHD)は大気汚染が基準値を超える日には操業制限を課す「モンバレー大気汚染エピソード規制」を導入し、USスチール社に是正を求めている。
終わりに
日本製鉄はUSスチール社の設備などに約2兆円を投じることになるが、問われるのはその資金の使い道だ。これまで発表されている計画では石炭を主原料とする高炉への投資が具体策として挙げられてきた。日本製鉄が注力している「高炉への水素吹き込み技術(COURSE50やSuper COURSE50)」においても、高炉からの排出削減目標は50%にとどまる。また、これらの技術が実証されるまでの移行期間中は、独自の「マスバランス方式」によって帳簿上の削減を推し進めているが、これは実際の排出削減にはつながらない。
日本製鉄が、自社の掲げる「2050年カーボンニュートラル」を達成するためには、方向転換が求められる。米国の豊富な再エネ資源やUSスチール社が保有する鉄鉱石を活かし、水素直接還元製鉄(H2-DRI)や電炉など低排出技術への投資に転換できるかが鍵となる。
幸い、米国市場には追い風もある。韓国鉄鋼大手の現代(ヒョンデ)製鉄は今年3月、約58億米ドルを投じて米ルイジアナ州に電炉工場を新設すると発表した。新工場では直接還元炉(DRI炉)も導入予定であり、排出削減と競争力を両立させる狙いだ。
日本製鉄が買収先の高炉を延命することは、気候変動対策でも技術革新でも後れを取る恐れがある。今回の買収を、脱炭素技術と海外展開を両立させる転機とできるか、その判断が、今まさに問われている。